top of page

2016年も始まって1か月が経とうとしておりますが、皆様いかがおすごしでしょうか。今回のリレーインタビューは、満を持して越前市役所IJU課長 橋本康央さんの登場です。越前市役所IJU課のトリです。インタビュアーは私高野が務めさせていただきます!!

最初に自己紹介を簡潔にお願いします。

1979年12月31日旧美山町(現福井市)生まれで、1970年代最後の使者です。

神戸の大学で5年間社会勉強した後、食品メーカーに入社し、10年ちょっと勤めていました。勤務地は順に大阪、福岡、東京、シンガポールと転々として、2年前に福井に帰ってきました。

今は越前市役所の産業政策課というところで働いています。

IJU課の中でも年長の、時には頼りになる課長です。では、大学時代の専攻を教えてください。また、それを選んだ理由なども教えてください。

法学部です。将来のビジョンがはっきりとしていなかったため、つぶしが効きそうという意味でも法学部を選択しました。

法学部やったんですね、意外!! 法学部だったということは、今の仕事とも関わってくる部分はあると思いますね。人生どうなるかわからないものですね。それでは前の仕事について教えてもらえますか。

入社した理由は麺類がめちゃくちゃ好きで有名という安直な理由ですが、その時の採用のキャッチフレーズだった「打倒! カップ〇〇」というチャレンジ精神に満ちて、ミッションがわかりやすい言葉にも惹かれました。

最初の勤務地の大阪と福岡では営業だったのですが、インスタント麺ではなく「チルド」という温度帯の商品群の担当でした。BBQで使う焼そばなどですね。インスタント部門と比べると商売環境が厳しい中で、知恵を絞って売上と利益を上げることが面白かったです。

東京では、マーケティングの仕事に従事しました。商品企画やプロモーションだけでなく、生産から営業まで全部担当が関わらなくてはならず、大変だった記憶の方が圧倒的に多いです。

その後、海外現地法人のマーケティングサポートを行う部署に移って、インドやシンガポールのなどを担当するようになり、シンガポールでアジア全体をフォローする部署に赴任しました。新商品を開発する際の調査や商品・販促の企画を、現地のマーケッターと一緒に行いましたが、日本人が他の人の好みを理解することがこんなにも難しいのかと痛感しました。あと、日本の本社と海外の現地法人の間に挟まったり……。ハードな毎日でしたが、充実して楽しかったです。

こんな感じでだらだらしゃべっていていいのでしょうか?(笑)

全然大丈夫ですよ。ここまでだらだらしゃべる方も珍しいですが(笑)。シンガポールでの話はよくある日系企業の形ですね。それぞれの地で生活していた時の、その土地ならではの経験などがあれば教えてください。

はじめは大阪勤務だったのですが、最初は滋賀の栗東にあった寮に住んでいました。電車で片道1時間半の道のりです。ですから大阪で飲んで、電車で帰って、もれなく寝過ごすってことを週一でやっていましたね。その癖は大阪に引っ越してからも抜けず、一度朝方に大阪環状線に乗ったときは、何度も降りなきゃいけない駅を寝過ごし続け、朝5時から10時まで回り続けていたことがあります。電車は恐ろしい……。

福岡の時は、担当エリアが九州全土だったので、九州中の美味しいものを満喫しました!

東京では、職場が歌舞伎町に近かったこともあって、週3くらいでは飲んでいましたね。終電にも間に合わないことも多々ありましたから、タクシーでって感じで大変でした。

酒のエピソードばっかしだな……(笑)。

シンガポールにいた時は、出張で月の3分の1は別の国にいたりしたし、どこに住んでいるかわからない感じでした。シンガポールは暮らすには何不自由しなかったですね。ゴルフをしに隣のマレーシアまで車でよく行きました。インドでは腹痛を起こして2週間倒れていた時もありました。あと仕事上、本社がある東京と、担当国のインドには3時間半の時差があったのも大変でした。

思い起こせば色々あったのですが、いざ喋れとなるとなかなか出てこないですね。

めちゃめちゃ喋ってはりますよ(笑)。僕の友人にも今その状態の人いますね、大変そうですよ……。そんな中で、福井に帰って来ようとお思いになられた理由は何なのでしょうか。

年齢と、仕事の異動なんかのタイミングですね。

就職したときから思っていたことですが、いずれは福井に帰ってこようと考えていました。実家はテンプルで、長男でしたし、何より地元を大事にしたいなという気持ちもあったので。自分が福井に住んでいたときとは違って、インターネットも発達して世界中の距離が一気に縮まりました。田舎にいても手に入るもの・情報が増えたんですよ。それも大きかったですね。

それでは、越前市役所で働く以前に感じていた越前市の印象があれば教えてください。また、その印象は、帰ってきてどう変わりましたか。

正直ほとんど行ったことがなく、強いイメージはありませんでしたが、たけふ菊人形のテレビCMはよく覚えています。あと、月尾の「梅月せんべい」のCM! 当時は越前市にお店があるとは知りませんでしたが……。働き始めてからの印象は、街並みの良く、意外と飲み屋が多いなぁということですね。

越前市役所を選んだきっかけなどがあれば教えてください。

これもタイミングです。ちょうど帰国した2月に、越前市役所が社会人経験者の採用をやっていることを、県のUターン支援センターの方に教えていただいたからです。

民間企業も受けており悩んだのですが、結局は民間の経験を必要としてくれていると感じたのもあったし、自分もその経験を全く違うフィールドでどこまで活かせるかということにも興味があったからですね。

地域に自分の経験を還元する、かっこいいですね!!

それでは、現在、越前市役所でどのような仕事をしているのか教えてください。

市内に立地しているあらゆる企業のサポートをすることが仕事です。規模の大小や課題はそれぞれ異なりますが、少しでも力になれるように心がけています。

補助金などだけではなく、セミナーの企画やビジネスマッチングの提供などソフト面でのサポートもさせていただいています。

 

産業政策課という名前の通りですね。IJU課の課長として、あと残りわずかとなりましたが、何か新たに取り組もうと考えていますか?

新しいことは別に何もないですね。基本的には今出来ていること、していることを継続してやっていくことがすごく大事だと思っています。どちらかというと、今の産業政策課の仕事をもっと頑張っていきたいと思っています。

IJU課長として一年間過ごしてきていかがでしたか?

楽しかったですね。IJU課のおかげで今のメンバーとも出会えることができましたし、外の人ともつながることができたし、貴重な経験でした。

課長としては、みんながやりたいことを自由にでき、意見を汲み取れるような仕組みづくりを心掛けてきたつもりです。今のように放っておいてもみんなが勝手に興味を持ったことに取り組んでいるようになったのは良かったなーと感じています。

これからのIJU課には、もっともっと市内外の色んな人が繋がるための役割を果たしていってほしいなと思っています。

僕も楽しかったですし、課長と副課長でいいコンビだったと自分でも思っていますよ。自画自賛させてもらいますと、この課長副課長コンビは県内ではまず負けません、ホントに(笑)。今思うと、恵まれた環境にいたなと思います。

それではリレーインタビューに入りたいと思います。福銀IJU課のきえさんからの質問です。好きな海外サッカーのクラブチームとそのチームへの情熱を語ってください。

チームはかの有名な、アーセナルですね。イングランドプレミアリーグに所属する、北ロンドンのチームです。経緯から語れば、アーセン・ベンゲルという監督が昔名古屋グランパスにいたんですけれども、弱小チームだったのが、監督が代わっただけで、2位になったんですね。そんなマネージャーの力でチームが変わるのか、という強い印象を受けたのが始まりですね。

そこからグランパスの監督をやめ、ロンドンという大きな街にあり、歴史あるアーセナルというチームの監督になって今に至るのですが、そうやって追っかけていくうちにチームの作り方にも惹きつけられる特徴がありました。他の強豪チームとは違って、若くて無名な選手を開花させ、或いは、他のチームで活躍できなかった選手を呼んで才能を見出して活躍させるなど、独自の選手起用を行っていました。それでその人の名声も復活し、加えてチームは強くなるということを、しかも20年ぐらい行ってきているという手腕は本当に凄いものがありますよ。

~長すぎて中略~

そこからあまり見ない時期もあったんですけれど、シンガポールに行ったときに、みんなサッカーが好きでサッカー中継とかよくやっていたのでまた見るようになりました。その時も優勝は遠ざかっていますけれども、昔と変わらないスタイルを貫いていたのはかっこいいなと思いましたね。スタジアムを建てる時も、かかるお金もちゃんと管理した中でチームの投資を収めて、優勝はそれで出来なかったかもしれませんが、リーグベスト4に残り続けたというベンゲルのマネジメントは一線を画したものがあるなと思いますね。

でも君(高野)もリバプールファンだから共感してもらえると思うけれども、こうやってチーム応援してるとさ、負けると翌日に与えるダメージがでかい訳なんですよね。

負けるとその一週間凹んだままですからね……(笑)。今度アーセナル対リバプールでも見に行きたいですね。負けたほうがお酒おごるって形で。気が付いたらこんな時間になってしまいました……。

それでは最後に、次回インタビューの指名をお願いします。また、その人への質問を1つ、挙げてください。

福銀IJU課の木原さちほさんに回したいと思います。質問は、お名前が平仮名なのが気になりましたので、「ご自身のお名前の由来を教えてください」。

越前市役所IJU課メンバー全員のインタビューが終わり、これからのリレーインタビューがどのようになっていくのでしょうか?? 皆様こうご期待!!

橋本課長、ありがとうございました。今年度のIJU課としての活動もあと2か月ほどですが、全力疾走で一緒に頑張っていきましょう!!

第17回 橋本 康央(2016.1.26)
 
※発足したばかりのIJU課の活動を広く知ってもらおうと、
IJU課のメンバー紹介をFacebookで連載していたものです
 
bottom of page