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通算14人目、福銀IJU課から5人目です! よろしくお願いします。

まずは自己紹介をお願いします。

福銀行武生支店の無量小路宗仁(むりょうこうじむねひと)です。

出身は池田町、高校は越前市内の武生高校です。その後は滋賀県で大学生生活を送りました。大学卒業後にUターンで戻ってきて入行2年目の25歳です。

越前市のお隣、池田町の出身なんですね。お名前はとてもインパクトありますが、これには後ほど触れましょう。それでは学生の時のことを教えてください。

大学は立命館大学でした。立命館大は京都に本部キャンパスがあるのですが、私は滋賀のキャンパスに4年間通いました。

経済学部経済学科でしたが、元々、高校の頃は建築士になりたいと考えていたんです。幼い頃から歴史が好きで、そこから歴史的な建築物に興味が移ったんですね。とは言え、大学の建築学科はほとんどが理系でして、ずっと文系だった自分にはとてもハードルが高くて。文系の建築も一部ではあるんですが、やはりそれは狭き門なので、悩みに悩んだ挙句、経済学部を選びました。

そういった経緯もあって、当初はあまり興味がわかず、大学に入ってしばらくはあまり勉強に身が入りませんでした。

なるほど。葛藤した時期があったんですね。勉強に身が入らず、その間、どのような生活を送っていたのでしょうか。

大学に入ってしばらくは、サークル活動にのめり込んでいました。イベントの管理・運営サークルで、ちょうどその時盛り上がっていたサッカーワールドカップのパブリックビューイングなどを行いました。

それと、アルバイトもいくつかやりました。バーや焼鳥屋などですね。元々お酒の場の楽しい雰囲気が好きなので。

あと少し変わったバイトでは、新聞販売の営業がありました。歩合制でノルマみたいなものがあったのですが、結構楽しかったですよ。人と話すのが好きだからでしょうね。良い時は時間給で3000円くらいもらえる時もありました。

2年ほどはそんな感じで時間を過ごしていたのですが、不思議なことに大学も3年目になる頃には、少しずつ経済の勉強が面白く感じ始めたんですね。そこからはサークルやアルバイトは控えめにして、本格的に学生の本分に向き合い始めました。

立命館大学というと、文化的な面でも、優秀な方を多数輩出されていますからね。学問以外でも学べることが多くあったことでしょう。簡単に調べてみたところ、日清食品創業者の安藤百福さん、ナインティナインの岡村さん、歌手の倉木麻衣さん、元プロ野球選手の古田敦也さんなどが出身のようです。

福井を出て滋賀県での生活は、どうでしたか。

滋賀県は、人口が増加している数少ない県の一つなんです。また、沖縄のような自然増加(出生数>死亡数)ではなく、社会増加(転入数>転出数)であることも特徴ですね。

私が住んでいたのは南草津駅の近くで、滋賀県内では2番目に利用者数の多い駅でした。京都まで20分弱、大阪まで約40分、名古屋にも1時間ほどで行けるというとても便利な場所で、それでいて都会すぎないというのが住みやすい理由なんだと思います。

滋賀と福井は隣接していますが、福井から京都などには少し距離がありますからね。新幹線開通に期待しています。

滋賀県で学生生活を送った後、福井に戻ることに迷いはなかったんでしょうか。

滋賀や県外での生活に、あまり未練はなかったですね。家族などから「帰って来い」なんて言われたことは一度もなかったんですが、それでも自分の中で帰るのが当たり前のような気持ちでいました。あえて理由を挙げるとしたら、「福井が好きだから」という一点でしょうね。

迷わず福井に。そして、福井銀行に入ることに決めたんですね。

当初は銀行員になるなんてまったく考えていなかったことです。先ほども少し触れましたが、大学3年目くらいから、経済に少しずつ興味が出てきて。元々、人と話をするのが大好きですし、様々な立場の人と接することができるし、色んな人の話を聞けるこのお仕事は、とても自分に向いていると思います。経済の側面から、福井の活性化、福井の魅力アップに貢献できれば嬉しいですね。

こうやって話をしていても、とても人懐っこい人柄を感じますし、まさに天職なんでしょうね。今の福井銀行での仕事について教えてください。

実はつい1週間前に、法人営業に変わったばかりなんです。まだ引き継ぎ業務が中心で、年末年始の挨拶を兼ねてお客様のところを回っています。分からないことが多いですが、たくさんの方とお話ができるので、とても楽しいです。自分に向いていると思っています。
ちなみにその前はローンや外為を担当していました。入行から1年半、携わっていたので、銀行員としての多くの勉強をさせてもらいました。

変わったばかりの仕事も大変だと思いますが、それと並行してIJU課でやっていきたいことはありますか。

市内の大きなイベントに関わっていきたいです。特に若者が大勢集まるような。夏の日野川で行われるイベントのようなイベントが目標ですね。

大学のサークル活動での経験を活かして、是非、実現していきましょう!

前回インタビューの越前市役所IJU課のえーさんから質問です。その個性的な名前で仕事上得したこと、損していることなどを教えてください。

名刺をお渡しすると、インパクト大です(笑)。皆さんまず気になりますよね。そこから会話が広がったりもします。

ただ、電話応対では逆に不利です。「無量小路です」「え?」「無量小路です」「え?え?」みたいなやりとりが続くことも(笑)。あと「ムリョウ・コウジ」さんだと思われたりもしますね。

なるほど。名刺をお渡しできる場面では武器にできるけれど、口頭だけでは不利ですよね。危険と背中合わせな武器ですね(笑)。ちなみに、何か歴史的な由緒がある家系なのでしょうか。

じいちゃんから聞いた話では、起源は1470年代に遡り、越前国でお城を構えたお殿様の弟の家系だとか、織田信長と反目し合ったとか、いくつかありますけれど、信ぴょう性は怪しいというか、何も証拠が無かったりします。だから実は何も由緒なんて無いですよ(笑)。

いかにも何かありそうな名前だから、尾ひれ背びれが付いたということでしょうか(笑)。

最後に、次のインタビューの指名と、その人への質問をお願いします。

次は越前市役所IJU課のチェブラーシカさん、よろしくお願いします。質問は「好きな芸能人を教えてください」。

無量小路さん、ありがとうございました。一緒にIJU課を盛り上げていきましょう!

第14回 無量小路 宗仁(2015.12.21)
 
※発足したばかりのIJU課の活動を広く知ってもらおうと、
IJU課のメンバー紹介をFacebookで連載していたものです
 
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