top of page

なんか美味しそうなもの食べてはりますね。なんか僕もお腹すいてきました。

サクッとインタビューしてしまいましょう!!

まずは自己紹介として、簡単に越前市役所に入るまでのことを教えてください。

昭和53年9月7日生まれ、現在36才です。ゴミの年苦難の日に生まれたと覚えてください(真顔)。
ここ福井県越前市生まれで、神山小学校、二中、武生高校と、高校時代まではずっと越前市内で過ごしていました。大学から東京へ行き、就職をして、結婚をして、今年の4月に故郷である越前市に帰ってきました。

現在は、越前市役所社会福祉課1年目です。ちなみにIJU課では最年長になります。
 


苦難の日にお生まれになったわけですね。でもあとは良くなっていく人生ってことでいいんじゃないですか(笑)。というわけで、学生時代の専攻を教えてください。また、それを選んだ理由なども教えてください。
大学では教育学部の数学科にいました。教育というよりは数学がすごく好きだったんです。それで受験では数学一本でなんとかなるところを受けた、という感じでした。
大学時代は、代数の分野をやっていました。ガロア理論というものを勉強していたんですけれど、ご存知ですか? フランスのエヴァリスト・ガロア(Évariste Galois)という人が、ある女性を巡る決闘をして21才の若さで死んでしまうのですが、なんとその決闘で死んでしまう前日に、彼は5次以上の方程式は解の公式は存在しないという不可能の証明に関する重大な発見を書き記したのです。その時の彼の言葉が「僕にはもう時間がない」でした。
彼の数奇な運命に惹かれて勉強していましたが、なかなか大変でした。

 

数学ですか・・・ 僕はサッパリだめでしたね(笑)。できたら面白いんでしょうけれども。次行きます。越前市役所に入る前のお仕事について、教えてください。
公共のスポーツ施設の指定管理者として、施設の管理や運営、または水泳などの指導をしていました。有名アスリートのイベントのお手伝いなどもやっていましたね。
民間企業でしたけれども、地域の住民と非常に密接していて、仕事の内容は公務員と近いものであった思います。
 


以前にも越前市で生活していたということですが、その時に越前市について感じていたことがあれば、教えてください。
ずっと住んでいたところだったので、好きでした。今でも好きですよ。
高校時代までは越前市に住んでいたので、他との比較はできなかったですけれど。

帰属意識は結構強い方だと思っています。鯖江には負けねえぞ、みたいな(笑)。
 

 
東京都での大学時代・あるいは働いていた時の、その土地ならではの経験などがあれば教えてください。
皆さんのイメージ通りのところだと思いますよ。人が多い、イベントが多い、便利、何をやっても無関心、などなど。あと、変人は変人で居場所があるというところは東京ならではかもしれませんね。

東京で苦心したのは、福井弁ですね。東京に行って1年半で標準語を喋っている夢を見ました。そこで「ああ、ようやくか」って思いましたよ。
でも、いまだに2字の単語の発音で悩むんですよね。「かき」とか「くも」とか「はし」とか。

 


方言ですか。僕も関西弁ですからね、なかなか消えませんよ(笑)。

次の質問ですが、帰ってくる前の越前市の印象と、帰ってきた後の越前市の印象で変わったところはありましたか。
東京から帰ってくるときは、田舎独特の狭いコミュニティがあるということを、ある程度意識していました。けれども、実際に帰ってきてみると、思っていた以上にコミュニティが狭かったですね(笑)。東京に行ってすっかり忘れていました。人と人との距離感が近いというか。
でも、昔からの顔なじみの人に会えたのはよかったですね。こっちは忘れているのに、「兄ちゃん、帰ってきたんやなあ」なんて言われることもありました(笑)。



越前市役所を選んだきっかけなどがあれば教えてください。
まず、越前市に帰ってこようと思ったのは、子育て環境がいいってところですね。子どものことを考えると、戻るなら早い方がいいかな、と思って。それで何故越前市役所にしたのかといいますと、先ほども言ったんですが、もともと公務員に近い仕事をずっとやってきていたので、転職するのなら丁度いいと思ってここを選びました。
家族が福井に好感を持っていてくれていたことも大きかったですね。

 

家族の理解って大事ですよね。

それでは、現在、越前市役所でどのような仕事をしているのか教えてください。
社会福祉課ですので、社会の福祉に関する仕事です。
越前市役所には子ども福祉課や長寿福祉課もあるのですが、小さい子供やご高齢の方でなくても、生活に困っている方はたくさんいらっしゃいます。そういった方たちのお手伝いをする仕事です。とにかく福祉に関して非常に幅広い仕事を行っております。

 


IJU課の一員として、今後取り組んでいきたいことなどがあれば教えてください。
最近気がついたことなのですけれども、IJU課メンバーで越前市で生まれ育ったのって、僕だけなんですよね。そして、子育て経験者も僕だけなんですよ。ですから僕でしかできないことを何かできれば、と思っています。子育てや子どもに関することを何かしたいなあと思いますね。ワーママの取組みはどこもやっているとは思うんですけれども、父親向けの、いわゆるイクメン向けの取組みが何かできないかな、と思います。
あと、越前市で生まれ育ったという面では、越前市を出たことがない人だけで、市外県外に向けて何かを発信するのも面白いのでは、と考えています。10年20年住んだだけでは気付かないような、もっと、ずっとずっと深い越前市の良さをアピールすることもできるんじゃないかなーって。

 

そうやってIJU課の裾野を広げていくのも面白いですよね。

では、お待ちかねの質問です。前回インタビューを受けた、友国さんからの質問です。東京での武勇伝を語ってください!!

え~っと、Facebookに載せていい範囲のものでお話しさせていただきますね(笑)。 
20代の頃の話ですけれども、ひたすらラーメンばっかり食べていました。カップ麺とかではなく、ラーメン屋のラーメンです。年400食は食べていましたね。基本1日1店、多い日には1日3店行っていました。結婚式では行っていたラーメン屋の写真を流されるということもありました。
ラーメンが好きすぎて、ラーメンズっていう芸人のライブにも行ったことがあるんですけれども、その時もライブの前後にラーメンを食べてました。ラーメン、ラーメンズ、ラーメンみたいな感じで(笑)。 
佐野ラーメンが食べたくて、高速で3時間飛ばして佐野まで行ったこともありました。
こんな感じで大丈夫でしょうか? こんなので勘弁してください(笑)。

 

そろそろこのインタビューもマンネリ化してきたと思うので、福井銀行のIJU課にもこのリレーインタビューを回したいなと思います。
で、その第一弾は福井銀行IJU課の課長である細川さんにお願いしたいと思います。
質問は「将来福井銀行の頭取、あるいは日銀の総裁になる予定はありますか?」

 

急展開ですね!! でも市役所を飛び出るということで、大変面白くなってきました。細川さんが日銀総裁になられる日も楽しみですね。

牧野さん、本日はありがとうございました。

第5回 牧野 裕一(2015.8.13)
 
※発足したばかりのIJU課の活動を広く知ってもらおうと、
IJU課のメンバー紹介をFacebookで連載していたものです
 
bottom of page